會津八一について
會津八一は歌人・書家・美術史学者など多彩な活躍をしましたが、生前に歌集・随筆・書画集などを出版して、高い評価を受けています。
ここでは、出版物と作品から、八一の芸術を紹介します。
歌集「南京新唱」(なんきょうしんしょう)1924年(大正13)12月15日刊
會津八一の最初の歌集で、著者名は秋艸道人。奈良を詠んだ「南京新唱」や「村荘雑事」など全152首が収録されました。装丁は八一自身が意匠し、坪内逍遙をはじめ、先輩知友らの序や跋、図版を掲載しました。売れ行きは伸びませんでしたが、一部では評価され、後に『鹿鳴集』に改録された際、世に知られるところとなりました。
歌集「鹿鳴集」(ろくめいしゅう)1940年(昭和15)5月22日刊
還暦を機に「南京新唱」から今までの短歌をまとめた歌集。過去に発表された短歌に推敲を練り、修正を加え、全332首を収録しました。斎藤茂吉をはじめ多くの文化人から絶賛され、歌人としての評価を決定づけた一冊。
書画集「渾齋近墨」(こんさいきんぼく)1941年(昭和16)8月28日刊
還暦記念に開催した展覧会を機に制作した初めての図版集。自分の思い出の種として、また希望者に渡すために制作されました。漢詩や短歌などを揮毫した近作48点を収録した図録は、書だけではなく、画に賛を入れた作品もあり、扁額、軸など形式も多様です。
随筆集「渾齋随筆」(こんさいずいひつ)1942年(昭和17)10月30日刊
歌集『鹿鳴集』出版後、八一の短歌は解りにくいとの評判を受け、注釈を随筆風に書いた著書。奈良美術研究などで得た知識と、口述的な文章で、歌の余滴をまとめています。このような自作自註は、後の『自註鹿鳴集』に繋がりました。

「南京新唱」〈猿沢池にて〉より。
衣掛柳を見たいと思って傘をさしながら、猿沢の池のほとりを歩いていたことだ。
會津八一著「渾齋随筆」〈衣掛柳〉より。
雨の降る中を、宿の浴衣に、傘も宿の番傘で、何はあれ、先づ猿澤の池へ行って、第一に訪ねたものは、この柳であった。

「南京新唱」〈戒壇院をいでて〉より。
広目天の眉を寄せて、遥かなる彼方を見るような目つきを、思い浮かべながら、秋の野道を歩く。
會津八一著「渾齋随筆」〈毘樓博叉〉より。
ある時、東大寺からの帰りがけに、飛鳥園の店へ立ち寄ると、主人の小川君は、あの特色ある笑を湛へながら、つくづくと私の顔を見て、どうもあなたは、だんだん戒壇院の廣目天そっくりの眼になってこられましたという。
歌集「山光集」(さんこうしゅう)1944年(昭和19)9月20日刊
前作『鹿鳴集』と同様、古跡古美術に関する短歌を中心に、4年間の作歌をまとめ、旧作「斑鳩」を加えた歌集で全257首を収録。生涯の中で最も多く作歌した時期で、戦争など当時の時代背景と重なる短歌も残されています。

「雁来紅」より。ヒユ科の一年草、ハゲイトウ(葉鶏頭、雁来紅〈和名:かまづか〉)を、東京・目白文化村秋艸堂で詠んだ1首。
葉鶏頭の赤く照り映える窓に肘をついて、世間をあざけろうなどというしたたかな心など私にはないのだ。

「校庭」詞書〈四月二十七日 ふたたび早稲田の校庭に立ちて〉より。東京・早稲田大学近辺を詠んだ1首。
戸山が原の芝草の上で、語り合った友人たちは生きているのであろうか、それとも死んでいるのだろうか。
歌集「寒燈集」(かんとうしゅう)1947年(昭和22)4月15日刊
前作『山光集』以降、昭和21年6月までの短歌212首を収録した歌集。養女キイ子の死別の際に詠んだ絶唱「山鳩」など、戦中戦後、東京から新潟へ疎開した八一の窮乏時代の名歌が収録されています。

「鉢の子」詞書〈その日國山村源八新田なる森山耕田が家に宿りて禅師が手澤の鉢の子を見る〉より。良寛の遺跡を訪ねた際、托鉢の鉢を観て詠んだ1首。
朝の山を心も軽く下られたであろう良寛禅師の袂にあった鉢の子はこれなのだなあ。
書画集「遊神帖」(ゆうじんじょう)1947年(昭和22)5月20日刊
昭和20年秋頃から21年末まで揮毫したものの中から46点を選んだ作品集。書画集『渾齋近墨』と同様、さまざまな形式の書が掲載されています。新潟に帰郷してからの、晩年の創作活動が垣間見られる一冊。

「右軍」は、東晋の三軍の1つで、右軍の将軍職にあった王羲之を尊称しています。語句は永上人は王羲之が好んでいた鵞鳥を飼育していたといいます。
池に右軍・王羲之が愛した鵞鳥を飼育する。

『楚辞』の九歌を踏まえた漢詩。
(蒼梧での舜の死を聞き)湘水に投身して女神となった娥皇・女英の清らかな涙は涸れたためしがなく、また楚の落人屈原(楚客)の芳烈比類ない魂は招くことも出来ない。そして屈原(公子)の憂国の愁いに罹った心境を写し描く機会もない。露に濡れた花も、 風に揺らぐ葉も共に悲しげに音を立てている。
歌集「會津八一全歌集」(あいづやいちぜんかしゅう)1951年(昭和26)3月25日刊
古稀を記念して企画されたもので、『鹿鳴集』、『山光集』、『寒燈集』を修正し、それ以後の短歌を加えて刊行されました。この歌集で同年5月に、第2回読売文学賞を受賞しています。











































