新潟市 會津八一記念館

會津八一について「学」

會津八一は早稲田大学卒業後、英語教師として新潟県の有恒学舎、東京の早稲田中学校や早稲田高等学院、美術史の教授として早稲田大学に勤務しています。

ここでは、名物教師として現在も語り継がれている八一の教育の一端を紹介します。

学規

1914年(大正3)夏

1914年(大正3)夏に作られた人生の4ヶ条。当時八一の家に下宿していた受験生のために作り、後に八一自身の生活指針となりました。門下生に向けて与えた言葉です。

涵之如海 養之如春

後漢の歴史家・班固(32~92)選「答賓戯」(『漢書』巻一百上「敍伝」)にある語句を引用。この言葉は、学問や見識を自然に染み込むように養い育てることだといいます。八一は学校などから揮毫をもとめられ、この語句を贈っています。

秋艸堂

1947・1948年(昭和22・23)頃

八一の住まいの号。生涯に何度か転居をしましたが、20代後半から用いています。「秋艸堂」の「艸」は、草を総称する語句で、萩・菊・葉鶏頭など秋の草花を好んだところから命名されました。

八一の周囲には門下生が集い、秋艸堂で勉強会や学芸の座談が頻繁に行わました。


目白文化村秋艸堂庭前にて(昭和10年頃)

八一の言葉
実はこの(東京・下落合の住まいの)庭には、南向の正面に大きな萩の古株が、いくつもあった。……この萩が、よく延びて、誰の目にもつき、文字の姿は、「艸」冠に「秋」で、秋艸堂にしつくりしたのである。(「小鳥飼」より)

有恒学舎


朴齋先生碑・會津八一書

1896年(明治29)4月、板倉村(現・上越市)に増村度次(号・朴齋)が設立した私立学校。現在は県立有恒高等学校として存続しています。

八一は早稲田大学卒業後、1906年(明治39)から1910年(明治43)8月まで英語教師として赴任しました。

八一の言葉
先日増村度次(朴斎・有恒学舎創設者)といふ人が亡くなった後、郷里の人たちが非常に敬慕しまして記念碑を建てたのです。(「文学者の修行」より)

早稲田中学校


「鳩の橋」小笠原忠著

1910年(明治43)9月、坪内逍遙の推薦で英語教師として勤務。1918年(大正7)より教頭となりましたが、教育方針で対立して教頭辞任後、1925年(大正14)辞職。

八一は英語と修身を担当していましたが、型破りな授業は生徒に大変人気があったそうです。授業を越えた全人格的教育には多くの伝説的エピソードが残され、小笠原忠の小説「鳩の橋」でも書かれています。

八一の言葉
老人も青年も、すべてもっともっと謙遜なれ、誠実なれ、活眼をひらけ、もっと真剣になれ、もっと徹底的なれ、そして吾々の生活をして更に高尚ならしめよ。更に豊富ならしめよ、更に意味深からしめよ。(「趣味の修養」より)

早稲田大学


早大学生とともに(昭和5年)

1926年(大正15)から東洋美術史の講師として赴任。1931年(昭和6)に教授就任。ここで多くの門下生を育て、1945年(昭和20)4月まで勤務しています。

八一の言葉
学問をしてゆくに、実物をよく観察して、実物を離れずに、物の理法を見てゆくと云ふことは、何よりも大切なことだ。どれほど理論が立派に出来て居ても、何処かに、実物を根底にする真実性が含まれて居なければ、即ちそれは、空論だ、空学だ。取るに足るものではない(「実物尊重の学風」より)

飛鳥園と「東洋美術」


「東洋美術」1929年(昭和4)に発行した学術雑誌

飛鳥園は1922年(大正11)、小川晴暘が開業した古美術写真店。會津八一の進めにより、本格的な古美術写真の撮影をはじめました。学術雑誌「東洋美術」はその飛鳥園が1929年(昭和4)発行した学術雑誌で、會津八一もこの雑誌に度々論文を執筆しています。

八一の言葉
私は今までの写真とは違うものを要求してゐるのです。真正面から拝んでこれをお祀りするのではない。私は美術としてこれを眺めるのだから光線が美しくなければならない。今までの写真といふものはどういふ姿をしてをられるかは写っているが美しさをちっとも強調していない。私のやるのは全くそれとは違うのである。(「仏教美術の意義」より)

法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究

1993年(昭和8)5月28日


法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究

1933年(昭和8)に出版した博士学位請求論文。翌1934年(昭和9)文学博士を授与。八一はこの論文で法隆寺再建非再建論争という明治年間からの論争に挑みました。結論は覆されましたが、文献と実物の両面から迫った研究は後の美術史研究に大きな影響を与えました。

八一の言葉
法隆寺の問題を本当に決定しますには、国民が学術というものにもうちっと興味を持って、軽率な結論を喜ばないで、学閥とか学派を眼中におかないで、ほんとうの真理探究ということをし、そして率直にものをいうこと、一時代一様式だとかそういったようなことをいわないこと。(「法隆寺問題について」より)

【會津コレクション】早稲田大学會津八一記念博物館


早稲田大学會津八一記念博物館

會津コレクションを所蔵する大学博物館。八一は私費で、自らの研究資料と学生に対する教材にするために美術品を蒐集していました。

1934年(昭和9)秋、會津コレクションは大学内に設立した東洋美術史研究室に陳列されました。空襲や学園紛争などにより数度の移転、閉室を経験しましたが、現在は「早稲田大学會津八一記念博物館」内に収蔵されています。

八一の言葉
そこで私は一つの重大な覚悟をした。それから努めて倹約な簡易な生活をして、時としては一年中―夏も冬も―一着の古洋服を、しかも四五年着通したり、破れ靴をいつまでも穿き歩いたりもした。そうして自分ひとりの力で、出来るだけ多くの参考資料の採集を敢行した。(「面影」より)

【會津コレクション】明器


辟邪俑

中国の古墓から出土する土や記で作られた副葬品。八一は395点収集しています。早稲田大学會津八一記念博物館蔵。

【會津コレクション】瓦当


漢并天下

屋根や軒先を飾る円形の瓦。54点収集。早稲田大学會津八一記念博物館蔵。

【會津コレクション】


羽状文鏡

青銅や白銅で作った金属の鏡。208点収集。早稲田大学會津八一記念博物館蔵。

【會津コレクション】拓本


隋開皇三年造像拓本題字

金属器や石碑などに彫られた銘文や碑文を墨を用いて写し取ったもの。532点収集。早稲田大学會津八一記念博物館。


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