會津八一について
會津八一の短歌は、奈良・新潟をはじめ全国各地で詠まれました。現在、それらの歌の一部が、関係各所を中心に歌碑として建立されています。歌碑は、八一の生前に建立されたものから、近年建立されたものまで様々ですが、後世に残るものとして、八一の芸術を偲ぶ作品となっています。また、歌碑の多くは八一の自筆であり、歌と書を展観することが出来ます。
會津八一記念館で確認している自筆歌碑は、全国41基ありますが、その歌碑から八一の短歌と足跡を紹介します。
郷土を愛し、文化振興を志した會津八一ですが、新潟の風土を題材にした名歌も多く残しました。現在、新潟市内に10基、新潟県内に3基の合計13基の自筆歌碑が建立されています。
新潟県エリア
新潟県立図書館
- 建立年
- 昭和25年8月1日
- 建立場所
- 新潟市中央区女池南3-1-2
- 出典
- 『寒燈集』「雲際」詞書〈やがて松ヶ崎なる新潟飛行場に着して〉
- 歌作年
- 昭和20年4月
- 建立者
- 會津先生古稀祝賀会
- 石材
- 安田草水石
- 制作者
- 白井勇吉
- みやこべを のがれきたれば ねもごろに
しほうちよする ふるさとのはま - 戦火の都を逃れて来てみれば、故郷の浜は私を慰めるようにやさしく潮が打ち寄せているよ。

新潟県立図書館は1915年(大正4)開館。八一の歌碑が建立した当時は、新潟市寄居町(現・日銀新潟支店)前にありましたが、1953年(昭和28)、新潟市一番堀通町に移転。その後、1993年(平成5)、新潟市女池に移りました。歌は1945年(昭和20)、東京大空襲で被災し、傷心を抱いて新潟へ帰郷したときに詠んだものです。
県立図書館には、八一碑の他に、相馬御風が建立した良寛碑「一二三いろは」と珠算教育に尽力した長沼吉三郎の記念碑が建立されています。
北方文化博物館新潟分館
- 建立年
- 昭和30年11月
- 建立場所
- 新潟市中央区南浜通2番町562
- 出典
- 『鹿鳴集』「望郷」
- 歌作年
- ~大正14年7月
- 建立者
- 伊藤文吉
- 石材
- 鴨川真黒
- 制作者
- 佐久間昌一
- かすみたつ はまのまさごを ふみさくみ
かゆきかくゆき おもひぞわがする - 春の霞が立ち込める砂浜を踏付けて、行きつ戻りつして物思いに耽っている。

北方文化博物館新潟分館は、明治末期に六代伊藤文吉が新潟別邸として購入。八一は、1946年(昭和21)7月25日から1956年(昭和31)11月21日に75歳で永眠するまで、新潟分館の邸内の洋館で暮らし終焉の地となりました。歌は、八一が東京に住んでいた頃に故郷・新潟で過ごした少年時代を懐かしんで詠んだもの。分館の庭内には、大正時代末に建物・茶室「清行庵」があり、看板は八一書によるものです。
市島邸
- 建立年
- 昭和45年3月29日
- 建立場所
- 新発田市天王1563
- 出典
- 『會津八一全歌集』「天皇を迎へて」
- 歌作年
- 昭和22年10月
- 建立者
- 財団法人継志会
- 石材
- 笹神出湯石
- 制作者
- 村山広吉
- みちのべの をぐさのつゆに たちぬれて
わがおほきみを まちたてまつる
くにみすと めぐりいまして しなさかる
こしのあらぬに たたすけふかも
いねかると たなかにたてる をとめらが
うちふるそでも みそなはしけむ - 道端の草の露に立ち濡れて、天皇をお迎えするのだ。
ご巡幸のためはるばる遠いこの越後の野へ、天皇は今日出発になられるのだ。
稲を刈ると田に立つ乙女たちの打ち振る袖も、ごらん遊ばすことであろう。

市島邸は、新発田市天大にある豪農、巨大地主だった市島家の邸宅。大きな邸宅に回遊式庭園があり、土井晩翠、吉井勇の歌碑とともに會津八一の歌碑が建立されています。
新潟県立新潟高等学校
- 建立年
- 昭和47年10月12日
- 建立場所
- 新潟市中央区関屋下大川原町2-635
- 出典
- 『會津八一全集』第四巻「新年同詠船出應制歌」
- 歌作年
- 昭和28年2月5日
- 建立者
- 新潟高校八十周年記念事業実行委員会
- 石材
- 津南見玉石
- 制作者
- 藤井留吉
- ふなびとは はやこぎいでよ ふきあれし
よひのなごりの なほたか久止母 - 船人はすみやかに漕ぎ出でよ。吹き荒れた昨夜のなごりの波はまだ高くても。

新潟高校は、1892年(明治25)新潟県尋常中学校として開校。八一は、1895年(明治28)に入学し、1900年(明治33)年に卒業しています(第七回生)。中学生時代の八一は、俳句を始め、雑誌『ホトトギス』や地元新聞『東北日報』に俳句や俳話を発表しました。歌は、1953年(昭和28)、新年の宮中歌会始の儀に召人として招待を受けた時に詠進したものです。
太総寺
- 建立年
- 昭和53年11月21日
- 建立場所
- 胎内市西条町1-74
- 出典
- 『寒燈集』「観音堂」
- 歌作年
- 昭和20年8月
- 建立者
- 會津八一先生歌碑建立委員会(會津博士二三回忌)
- 石材
- 仙台石
- 制作者
- 津野重一
- ひそみきて たがうつかねぞ さよふけて
ほとけもゆめに いりたまふころ - ひっそりとやってきて、誰が鐘を打っているのだろう。仏も私たちの夢に現われるこんな夜更けに。

太総寺は胎内市にある曹洞宗の寺院。会津八一が疎開の際に一時移住した観音堂は、現在この寺院に移されています。
會津八一記念館
- 建立年
- 昭和56年4月26日
- 建立場所
- 新潟市中央区西船見町5932‐561
- 出典
- 『寒燈集』「雲際」詞書〈やがて松ヶ崎なる新潟飛行場に着して〉
- 歌作年
- 昭和20年4月
- 建立者
- 新潟ライオンズクラブ
- 石材
- 自然石に御影石はめ込み
- 制作者
- 村上政吉
- おりたてば なつなほあさき しほかぜの
すそふきかへす ふるさとのはま - 飛行場に降り立つと、夏もまだ浅い故郷の浜は、潮風が着物の裾を吹き返すよ。

會津八一記念館は1975年(昭和50)に開館。歌は1945年(昭和20)4月、東京大空襲で被災し、傷心を抱いて新潟へ帰郷したときに詠んだもの。歌碑は1975年(昭和50)4月に除幕されたものの、碑文が読みにくいとの理由で7月に改刻されました。記念館内には、中田瑞穂(医師、八一の主治医)の書「財団法人會津八一記念館」書碑が建立されています。
丹呉家
- 建立年
- 昭和58年11月20日
- 建立場所
- 胎内市西条
- 出典
- 『寒燈集』「柿若葉」
- 歌作年
- 昭和20年5月
- 建立者
- 丹呉協平
- 石材
- 紀州石に黒御影石はめ込み
- 制作者
- 津野重一
- ふるさとの このま涼しも いにしへの
おほきひじりの からうたのごと - 故郷の木の間はなんと涼しいことか。まるで、古えの偉大な詩人(李白)の唐詩のようだ。

戦時中、八一が疎開した胎内市西条に建立されている歌碑。八一は1945年(昭和20)5月から1946年(昭和21)6月までこの地で過しています。
千歳大橋
- 建立年
- 昭和60年5月
- 建立場所
- 新潟市中央区新光町
- 出典
- 『鹿鳴集』「望郷」
- 歌作年
- ~大正14年7月
- 建立者
- 新潟市
- 石材
- 銅版
- 制作者
- 東京前田屋外美術研究所
- よをこめて あかくみはなち おほかはの
このてるつきに ふなですらしも - 夜おそくまで舟底にたまった水を汲み捨てて、照りわたるこの月の下で信濃川に舟を出そうとしているよ。

會津八一生家跡
- 建立年
- 昭和61年11月16日
- 建立場所
- 新潟市中央区古町通5番町
- 出典
- 『寒燈集』「雲際」詞書〈新潟の濱にて〉
- 歌作年
- 昭和20年4月
- 建立者
- 新潟八千代ライオンズクラブ(20周年記念)
- 石材
- 赤御影石
- ふるさとの はまのしろすな わかきひを
ともにふみけむ ともをしぞおもふ - この故郷の浜の白砂を、若き日ともに踏んだ友のことがしきりに思われる。

會津八一の生家は、江戸時代に遊郭「湾月楼」(會津屋)を創業。明治時代には料亭として営んでいましたが、1908年(明治41)の新潟大火で被災し廃業。歌は1945年(昭和20)、東京大空襲で被災し、傷心を抱いて新潟へ帰郷したときに詠んだもの。歌碑の原稿は、ペン字で書いた歌稿。ペン字を元にした八一の歌碑は生家碑のみです。
瑞光寺
- 建立年
- 平成元年6月4日
- 建立場所
- 新潟市中央区西堀通3-797
- 出典
- 『鹿鳴集』「望郷」
- 歌作年
- ~大正14年7月
- 建立者
- 秋艸会(會津博士三十三回忌記念)
- 石材
- 津南見玉石
- 制作者
- 島津茂一郎
- ふるさとの ふる江のやなぎ はがくれに
ゆふべのふねの ものかしぐころ - ふるさとの古びた堀の柳、その葉隠れに、舟の中で夕げの支度をするころだなあ。

瑞光寺は曹洞宗の古刹で、1560年(永禄3)に開基。八一の菩提寺。歌は、東京に住んでいた頃、故郷・新潟の堀に沿う柳、その柳の葉陰に寄せる船上生活者の様子を詠ったもの。寺の石柱には、八一の書「不轉観世音瑞光寺」が刻まれています。本堂前には、篆刻家・山田正平の書で「渾齋秋艸道人」と刻まれた八一の墓があります。
西海岸公園
- 建立年
- 平成元年10月22日
- 建立場所
- 新潟市中央区西船見町
- 出典
- 『會津八一全歌集』「松の雪」
- 歌作年
- 昭和21年12月
- 建立者
- 秋艸会(新潟市制施行百年記念)
- 石材
- 仙台鞍馬石(輝石安山岩)
- 制作者
- 倉田六治
- みゆきつむ まつのはやしを つたひきて
まどにさやけき やまがらのこゑ - 雪に埋まった松の林を伝って来て、窓からすがすがしい山雀の声がひびくよ。

伏見家
- 建立年
- 平成5年12月
- 建立場所
- 新潟市江南区袋津
- 出典
- 『南京新唱』「南京新唱」 詞書〈病中法隆寺をよぎりて〉
- 歌作年
- 明治41年8月~大正13年
- 建立者
- 伏見長一郎
- 石材
- 自然石
- 制作者
- 川口信夫
- おほてらの かべのふるゑに うすれたる
ほとけのまなこ われをみまもる - 大寺(法隆寺金堂)の壁画の中に、薄れて消えかけた仏の眼が私をじっとみつめている。






















