新潟市 會津八一記念館

會津八一記念館ブログ『秋艸日記』

2009年6月26日

二宮家と八一

 先日、新潟県聖籠町蓮野の旧家・二宮家の庭園を初めて見学してきました。二宮家は新潟県有数の大地主であり、弁天潟を一部とする広大な庭園、屋敷、多くの藏を敷地内に構える豪農でした。戦後の農地解放で多くの所有地を失いましたが、庭園及び建物は、当時のまま残されています。2006年には敷地内にある建造物が国の登録有形文化財となっています。同家では、数年前より期間限定でご当主が育てたバラ園と庭園の一般公開をしています。私が行った時は、バラの花も終わりかけていましたが、茶室から望む弁天潟の風景と日本庭園、一風変わった竹の節に驚きと感動を覚えました。

 
 さて、実は二宮家と會津八一もつながりがありました。1947年、二宮家が蔵書を手放す話しを佐久間書店から聞いた八一は、当主へ手紙を送ります。長坂吉和氏著『會津八一と書と風土』(新潟日報事業社刊)によれば、『大日本仏教全書』外二叢書を現金で先方の希望に添って購入したい。都合を伺って参上したい旨の依頼状でした。その後も催促状を送り、最後は絶交状だったそうです。これは、インフレによる書籍価格の不定で、八一の気短な申し出に応じられなかったのが真相とありました。結果的には二宮家からではなく、佐久間氏を経由して八一の手許に入ったようです。八一の執念と行動力を見せ付けた一幕が二宮家と八一の間にあったのでした。

 (学芸員・喜嶋)

   

二宮家の門と庭園

 

 會津八一記念館ブログ「秋艸日記」は、毎週金曜日更新の予定です。展覧会情報からイベント情報、最近の出来事など記念館の情報を発信していきます。

 

2009年6月23日

堀口すみれ子氏 文芸講演会「写真家・浜谷浩と父・堀口大学」のお知らせ≪終了しました≫

終了しました。受講者の皆様、ありがとうございました。 

 

新潟市の會津八一記念館では企画展「没後10年 濱谷浩 會津八一博士を写す」に関連して、文芸講演会を7月3日6時からクロスパルにいがた映像ホール(新潟市中央区礎町3ノ町)で開催します。講師は詩人・エッセイストの堀口すみれ子氏。父親である堀口大学は、浜谷浩を「天の写真家」と評価し、仲人をするなど家族ぐるみで交流がありました。生前の二人の交流や思い出を語っていただきます。聴講希望者は往復はがきで會津八一記念館に住所、氏名、電話番号を記入して申し込んでください。または、會津八一記念館までお問い合わせください。(記念館住所:〒951-8101新潟市中央区西船見町5932、電話番号:025-222-7612)

 
テーマ:「写真家・浜谷浩と父・堀口大学」
講師 :堀口すみれ子
日時 :7月3日(金)午後6時から7時30分
会場 :クロスパルにいがた
主催 :會津八一記念館 新潟市
入場無料

2009年6月19日

八一と九萬一と大学

百里流れて信濃川 悠々海に入るところ
名さへ耀(かがよ)ふ青陵の 伝統遠き丘の上
古き誇りを新しく 集うよわれ等若き日を

 上の歌詞を口ずさんだことがある、または聴いたことがある方、いらっしゃるかと思います。新潟県立新潟高校の校歌の一節です。作詞は堀口大学(ほりぐち・だいがく)。外交官の父・九萬一(くまいち)の影響で文学を志し、訳詩集『月下の一群』をはじめ、広くフランスの現代詩を日本に紹介する役割を果たしてきました。

 さて、新潟高校校歌の由来は、高校側が八一へ作詞依頼したところ、老齢のため若者の心情に触れる作詞はできないといって辞退し、代わりに大学を紹介しました。八一は、九萬一とは、東京在住の頃から親交をもち、互いに中国と西欧の文芸に深い知識があり馬が合ったようです。息子・大学とも親しい間柄だったこともうなずけます。また、大学の豊かな感性と歯切れ良いリズム感あれる言葉を駆使した作品に、八一は校歌作詞にふさわしいと考えたのでしょう。
展覧会では、大学が校歌作詞へ取り組む決意を表した八一へのハガキと、大学直筆による校歌のパンフレットが展示しています。また、来月3日には、企画展「浜谷浩(はまや・ひろし)會津八一博士を写す」関連イベントに大学の愛娘・堀口すみれ子氏による講演会を予定しておりますので、ぜひご応募ください。
 (学芸員・喜嶋)
 

※ 6月1日付『新潟日報』文化面、神林恒道館長による随筆「にいがた文化の記憶」に堀口九萬一と大学のことが詳しく掲載されていますので、一読下さい。

 

 

 

堀口大學書簡會津八一宛(昭和27年8月9日 會津八一記念館蔵)
 

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2009年6月12日

志功と八一

 先月、日本民芸館で開催中の特別展「棟方志功-倭画と書の世界-」を見てきました。展覧会では、志功が師・柳宗悦へ贈った昭和10年代から30年代にいたる「倭画」(やまとえ・肉筆画)と「書」の優品100点ほどが展示されていました。

 特に印象に残ったのは「書」作品。「不生」「華厳」「無事」など、志功が好きな仏教語を、全身全霊を込めたエネルギッシュな墨蹟は圧巻で、深い感動を覚えました。
 
 ところで會津八一と志功は戦前から親交がありました。八一は初対面の志功に対し「敏感で、熱烈で、自信に強い」と評し、彼の作品と人柄がしっくりしたと随筆で述べています。また志功は早大の八一の授業を聴講したり、ときには代行して教壇に立ち、汗が噴き出すほどの勢いで芸術論を論じたり姿勢を見守り、八一は志功の芸術的態度を高く評価していました。
 
 当館では、平成15年「會津八一と棟方志功」の特別展を開催し、両者の書も展示しました。知性と品性を醸し出す八一の書に対し、歓びを全面に表わす感性豊かな志功の書。両極端な二人の書の共通性は、信念を貫く姿勢だと感じました。混沌とした今の時代、自分の道を貫いて生きたいものです。
 (学芸員 喜嶋)
 
棟方志功書「佐久間書廛」(新潟市會津八一記念館蔵)
 
會津八一書「如山堂」(新潟市會津八一記念館蔵)
 
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2009年6月 5日

八一と建築家

 皆さんは佐藤武夫氏をご存知でしょうか?今年が生誕110年を迎えた建築家です。早稲田大学で會津八一の教え子、しかも佐藤氏自身も早大教授でした。わが新潟県には、佐藤氏設計による新潟県民会館や4代目の新潟市庁舎(平成元年5代目の現市庁舎移転にともない解体)があります。その他に早大の大隈講堂、熱海市の坪内逍遙別荘・双柿舎内にある逍遙書屋など全国各地の市庁舎や文化施設の設計に携わりました。

 
 佐藤氏の随想によれば、新潟で建築士会の講演に招かれた際、八一をゲストとして飛び入りに演壇に引っ張ったとあります。八一は開口一番「なあんだ、建築シカイと云うから俺は建築史会かと思って出て来たんだが、建築士会じゃ、大工の親方みたいなもんだな」と。それでも、あとは独特の演説で、近ごろのこの地方の新しい都市づくりで忘れているのは、北陸一帯のあの「がんぎ」の伝統だ。雪国での町の構えの知恵としてあの「がんぎ」を近代的にとり入れる工夫をなすべきだ、ということから始まり、建築とその風土の深いつながりについての訓話に発展し、建築士会に相応しい話で聴衆を傾聴させたそうです。
 
 今回の展覧会では、佐藤氏が所蔵していた八一の手紙を展示しています。内容は、佐藤氏から市庁舎建築の相談を受けた八一が、当時の新潟市議会議長・渡辺浩太郎氏(のちの市長)へ意見を述べています。亡くなる4カ月前とは思えないほどの、渾身の気を込めた手紙です。 
 (学芸員 喜嶋)
 

會津八一書簡 渡辺浩太郎宛

(昭和31年7月10日 會津八一記念館寄託)

 

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