新潟市 會津八一記念館

會津八一記念館ブログ『秋艸日記』

2009年8月28日

左利きの話

 ここ一週間、新潟は第91回全国高校野球選手権大会での日本文理高校の話題で持ちきりですが、決勝戦も手に汗を握る熱戦でした。

 ところで、野球を見ていると、右投げ左打ちの選手が多いですが、左打ちに矯正した方が打者に有利なことがいくつかあるようです。考えるとマリナーズのイチロー選手やヤンキースの松井秀喜選手なども右投げ左打ちです。
 
 利き手といえば、會津八一は、もともと左利きで、右に矯正しています。そのため、中学時代、書道が苦手だったという逸話も残っています。しかしながら、日本語の場合、文字や筆の性質上、右で書いた方が便利なようですし、そのコンプレックスが書家としての八一を開花させたといっても過言ではないでしょう。
 
 さて、今回の展示では、八一が左利きの証明となる作品をご紹介しています。1947年1月に濱谷浩が撮影した「印を押す・書斎」で、八一は左手で押印しています。そのことについて濱谷は「墨をするのも、印を押すのも左手で、右手は専ら揮毫のために、いたはつておられる」と述べていますが、左利きゆえの習慣だったのでしょう。
 また、印を押している書「さよふけて かどゆくひとの」は、有恒学舎教師時代の短歌を揮毫した作品です。この書は、濱谷が大切に所蔵していた作品で、今回初めて展示する逸品です。
 
 余談ですが、先日、八一と交流があった御方とお話していた際、「八一の顔は松井秀喜選手と似ている」とおっしゃっていました。それ以来、松井選手の顔に注目していますが、皆様はどうお感じになるでしょうか?
 (学芸員・湯浅)
 
印を押す・書斎 
濱谷浩撮影・會津八一記念館蔵
 
 會津八一記念館ブログ「秋艸日記」は、毎週金曜日更新の予定です。展覧会情報からイベント情報、最近の出来事など記念館の情報を発信していきます。

2009年8月21日

白雲牒の話

 先日、訪問したお宅で「記念として一言添えて記帳してほしい」と頼まれ、大変困りました。會津八一記念館に勤務しているにもかかわらず、字が下手なのです。覚悟を決めて書きましたが、バランスが悪くお粗末な出来になりました。筆を持ち、上達する努力をせねばと改めて感じました。
 
 さて、今回の展示では、濱谷浩が文化人を撮影した折に、記帳してもらった台帳「白雲牒(はくうんちょう)」をご紹介しています。宗教学者の鈴木大拙から始まり、棟方志功、大江健三郎など多くの著名人が、濱谷が撮影した後で台帳に味わいのある言葉を残しています。
 この「白雲牒」、和綴じのため、公開できる部分は會津八一の「陽春白雪」と揮毫したページだけですが、八一の書の隣に揮毫された俳人高浜虚子の
 
野菊にも 配流のあとゝ 忍ばるゝ 虚子
 
も鑑賞することができます。この句は、親鸞上人が配流された新潟上越市にある光源寺で詠まれた一句で、1946(昭和21)年秋に書かれたものです。
 虚子といえば、新潟大学教授の中田みづほ、高野素十らが師事し、戦後何度も新潟を訪問しています。次回の特別展「會津八一と越の学び舎」では、八一とみづほ、素十の交流もご紹介する予定です。
 
 また、今回展示している「越後の七人の芸術家」の章では、芸術家たちが揮毫した台帳をコピーでご紹介しています。どの書も戦後間もなくに揮毫されており、各人の思いが感じられる逸品です。
  (学芸員・湯浅)
 
會津八一書
「陽春白雪」(1947年1月21日 『白雲牒』より)個人蔵
※この右隣に高浜虚子の句が揮毫されています。
 
 會津八一記念館ブログ「秋艸日記」は、毎週金曜日更新の予定です。展覧会情報からイベント情報、最近の出来事など記念館の情報を発信していきます。
 

2009年8月14日

墨の話

 夏休み期間に入り、書道の宿題で會津八一記念館を見学する生徒、学生さん達をちらほら見かけます。神林恒道館長は私たちに常々「芸術は発見だ」とおっしゃっていますが、筆を持つ機会が少ない世代にも、八一の遺墨や写真などから発見があることを願っています。

 

 さて、今回の展覧会では、會津八一が濱谷浩に渡した作品資料を紹介していますが、墨に関する二つの珍しい作品を展示しています。
 ひとつは、「試墨図」。1950(昭和25)年の撮影の際、濱谷に墨や筆の使い方を教えるために試筆し、手渡された作品になります。濱谷はこれを額装し、自慢の所蔵品として来客者に見せていたそうです。この作品、写真では紹介されていますが、初めての出展となります。
 
 また、撮影の際に譲り受けた使用済みの墨片は、濱谷の夫婦愛を感じる逸品です。八一から墨片を渡された後、漆台を付けて着物の帯留にし、夫人の朝にプレゼントしています。新潟出身の朝夫人は1948年に濱谷と結婚し、二人三脚で濱谷の仕事を支えました。また、江戸千家の先生で、堀口大學から「寸雪庵」という庵号をいただいた人物です。
 1985年に朝夫人が亡くなった後、この帯留は新潟県内の旧友に形見分けされました。今回の調査で偶然教えていただき、展示する事が出来ました。1950年撮影の写真「墨片を持つ手」の墨は、この帯留の墨であると考えられます。
 (学芸員・湯浅)
 
   
濱谷浩撮影(左)「試墨・書斎」
(右)「墨片を持つ手・書斎」
(1950年11月・會津八一記念館蔵)
 
 ※會津八一作「試墨図」と墨片の「帯留」は記念館にて展示中です。ご来館お待ちしております。
 
 會津八一記念館ブログ「秋艸日記」は、毎週金曜日更新の予定です。展覧会情報からイベント情報、最近の出来事など記念館の情報を発信していきます。
 
 

2009年8月 7日

写真の話

 企画展「濱谷浩 會津八一博士を写す」は好評開催中ですが、記念館では写真関連のイベントや業務が続いています。

 まずは、秋の特別展「新潟大学60周年記念 會津八一と越の学び舎」に向けて、図録掲載作品の撮影がありました。すでに写真がある作品は、その画像データを利用する場合が多くあります。つまり、新たに撮影する作品が多いほど、初公開や貴重な作品が展示されることになります。すでにチラシをご覧になった方もいるかと思いますが、八一の初公開作品や式場隆三郎関連作品など目白押しです。9月19日から開催になる特別展、ご期待ください。
 
 また、8月1日の八一祭記念講演会では、奈良市の飛鳥園(美術写真ギャラリー)社長で写真家の小川光三(おがわ・こうぞう)氏をお招きし、尊父である写真家小川晴暘(おがわ・せいよう)の生涯や作品の解説、會津八一との関係などをお話しいただきました。今は無き旅館日吉館と飛鳥園の庭園がつながっていて、そこから八一は行き来していたことなど、面白いエピソードを聞くことができました。
 写真の話では、小川晴暘が試みた背景を黒くした仏像写真を紹介、その特徴を解説されました。黒バックから浮き上がる仏像の線こそ、日本の美の特徴だとおっしゃっていたのが印象的でした。西洋の面の美と、日本の線の美の違いをあらためて感じました。
 
 第三回秋艸道人賞「會津八一の写真を映す 写真コンテスト」も応募期日が近づいてきています。こちらもよろしくお願い申し上げます。
 (学芸員・湯浅)
 
特別展
「新潟大学60周年記念 會津八一と越の学び舎」
ご期待ください!!
 

© 2005- Aizu Yaichi Memorial Museum. All Rights Reserved.