2009年9月25日
式場隆三郎と八一と民芸
現在開催中の特別展「會津八一と越の学び舎」では、新潟大学の関係者と八一との交流を示す美術作品や資料などを展示しています。まず、今回は、“裸の大将”山下清をプロデュースした精神科医・式場隆三郎についてご紹介します。
隆三郎は、新潟医学専門学校(現新大医学部)の出身。学生時代の隆三郎は雑誌「白樺」を愛読し、「白樺派」の文人たちとの交流や柳宗悦を通じてバーナード・リーチなどと共に民芸運動にも関わります。八一とは、隆三郎の叔父で歌人の式場益平が新潟中学時代の八一の後輩にあたり、その縁で隆三郎は小学生の頃に八一と知り合います。展覧会では、隆三郎が千葉県市川市に新築した際、お祝いに贈られた八一書の木額「榴散楼」を初披露しています。普段は式場家の玄関に掲げられています。
さて、式場家の邸宅は、民芸運動を提唱した柳宗悦が設計し、陶芸家濱田庄司が建築監督に当たった由緒あるお宅です。応接間の床は、朝鮮風の板張り。私が冬に邸宅を訪ねた際、加湿器が何台も置いていました。冬は乾燥して床板がギシギシと割れるような音がするので、乾燥を防ぐために加湿器を入れているとのこと。また、邸内には、濱田によるマントルピースをはじめ、民芸の調度品で統一されていました。ご家族のお話では、民芸作家による陶器を日常生活で使っていたそうです。なんともうらやましいお話です。展覧会では、隆三郎コレクションによる濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチの陶器も展示し、ほとんどが初公開です。ぜひ御覧下さい。
(学芸員・喜嶋)
式場家の玄関
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2009年9月18日
特別展「會津八一と越の学び舎」明日開催
夕方、虫の音がリンリンと聞こえてきました。そんな虫の音がまるで、歓迎するかのように、本日、特別展「會津八一と越の学び舎」の開場式が行われました。新潟大学の下條文武学長をはじめ、篠田昭新潟市長など関係者総勢80人が式典にご参加頂きました。
今年は、新潟大学が創立60周年を迎えた記念すべき年です。早稲田大学教授の會津八一も新潟大学とは浅からぬ縁がありました。戦後新潟に疎開し、そこで就任した夕刊新潟社長時代『夕刊ニイガタ』に「総合大学を迎えて」など3篇の随筆で論陣を張り、大学設立運動に側面から協力していました。この生原稿を紹介しています。また、八一が同大学医学部へ揮毫した書「北冥有魚」の額をお借りして展示しています。この書は、新潟大学が社会へ羽ばたく優秀な人材を育む殿堂であってほしいという願いを込めた秀作です。ちなみに、当館の神林恒道館長いわく、青森の旧制高校の学生寮の名に「北溟寮」がある。しかし、「北冥有魚」の原書では「冥」とあり、「溟」よりも古い。新潟大学へ贈った八一の書は由緒正しいのだという興味深いお話をしました。
見ところがたくさんある展示内容ですが、今後ブログで随時ご紹介します。ご期待下さい。(学芸員・喜嶋)

開場式 展示解説会の風景
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2009年9月11日
八一の愛した 「かまつか」
今週はじめに、會津八一を敬慕する秋艸会の役員の方々が、手塩にかけて育てて下さった葉鶏頭(別名かまつか)の鉢を持ってきて下さいました。かまつかは、八一が愛でた秋草の一つで、かまつかを詠んだ短歌が16首と多く、最もよく歌われた花題です。
あきくさの なにおふやどと つくりこし
ももくさはあれど かまづかわれは
(秋草の名に負ふ宿と作り来し
百草あれどかまづかわれは)
「秋艸堂という私の家に相応しく、
多くの種類の秋の草花を育ててきたが、
なんといってもかまつかを最も愛好しているのだ」
つくりこし このはたとせを かまづかの
もえのすさみに われおいにけむ
(作り来しこの二十年をかまづかの
燃えのすさみにわれ老いにけむ)
「かまつかを毎年育ててきたこの20年間に、
かまつかの真っ赤に燃える美しさに心を奪われ、
愛好しているうちに年をとってしまった」
上記の2首は、八一59歳の時に詠んだ「雁来紅」と題する歌です。この歌の前書きには「その爛班蹌踉(らんはんそうろう)の痴態(まだら模様が明るくきらびやかで美しい。足元がよろめく)を愛するがために此の物を植うることすでに二十年に及び、やうやくの要を得来りしが如く、これに対して幽賞(ゆうしょう・自然の美を鑑賞すること)また尽くるところなし」とあります。後年、八一は知人から雁来紅栽培についての質問に答えた「雁来紅の作り方」という文章を残すほどの凝りようでした。
八一を夢中にさせた、かまつか。現在記念館の玄関前にあります。あなたもぜひ真っ赤に燃える美しさにご堪能下さい。(学芸員・喜嶋)
※八一の歌の表記は「かまづか」としていますが、現代用語では「かまつか」となっていますので、ブログの文中ではそのように使い分けしました。

會津八一記念館玄関前のかまつか
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2009年9月 4日
重陽の節句
9月に入りました。このところ風も涼しく、過ごしやすくなりましたね。日ごとに秋が深まってきているのを実感します。
さて、来週9月9日といえば重陽の節句。古来中国では、奇数を陽数として尊んできました。なかでも9は最大で、それが二つ重なるので「重陽」、この日を祝っています。時期的には菊の季節。日本でも菊の節句として重陽の日に邪気を払って長寿を願い、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりする習慣があるようです。
重陽を詠った中国唐時代の詩人・孟浩然「過故人荘」の詩があります。
故人具鶏黍 故人 鶏黍(けいしょ)を具(そな)へ
邀我至田家 我を邀(むか)へて田家(でんか)に至らしむ
緑樹村辺合 緑樹 村辺に合し
青山郭外斜 青山 郭外に斜めなり
開軒面場圃 軒を開いて圃場(ほうじょう)に面し
把酒話桑麻 酒を把(と)って桑麻を話す
待到重陽日 到るを待つ 重陽の日
還来就菊花 還(ま)た来たりて菊花に就かん
「故人が鶏と黍(きび)の料理を用意して、私を家に招いてくれた、村はずれには緑の木々が繁り、青々とした山が郊外に連なっている。窓を開いて畑を望み、酒を酌み交わして桑や麻のことを話す、9月9日の重陽の節句の日には、再び訪れて菊の花を愛でたいものだ」
會津八一もこの詩を好んでよく揮毫しています。昭和20年、疎開先の新潟県中条町(現胎内市)でお世話になっていた丹呉宗家の大番頭に、養女きい子逝去の際、香典返しとしてこの詩を揮毫し贈ったというエピソードが残っています。
実際に行われたどうかわかりませんが、もしかしたら重陽の日に、中条町の親しき人々とお酒を酌み交わし、キイ子さんの思い出を語ったのではないか、そんな気がしてなりません。
(学芸員 喜嶋)
會津八一書「故人具鶏黍」 新潟市會津八一記念館蔵
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