2010年3月27日
長岡と八一の話
平城遷都1300年記念「奈良の古寺と仏像 -會津八一のうたにのせて」展は、新潟会場のひとつが長岡市の県立近代美術館に変更、会期は4月24日~6月6日までの開館となりました。新潟市會津八一記念館の展示「生涯と業績をたどる」の会期は6月6日までとなりますが予定通り開催いたします。
もともと、中宮寺をはじめとする奈良の各社寺は、奈良を愛した會津八一との深い縁と、中越地震、そして中越沖地震など度重なる災害にあった新潟県民への励ましを込めて出展に快く応じていただいたと聞いております。図らずも震災のあった中越地方に会場を移すことになりますが、むしろ奈良からの出陳の趣旨に一層添う形になったと言えます。
ところで、八一と長岡市は全く関係がないわけではありません。戦後間もない1946(昭和21)年10月11日に長岡市の互尊文庫で「文化の意義」という講演をしています。この時期の八一は地方の文化振興のために各地で講演会を開催していますが、長岡でも文化の種を蒔いています。(この縁もあり、昨年10月には文学散歩「會津八一の文学風景を歩く」が互尊文庫主催で開催されました。)
その講演会の夜、八一は長岡市内で宿泊し、宴席で席上揮毫をしました。同席した長岡市地蔵町の酒造会社・高橋酒造の高橋貞は、酒の飲みっぷりの良さを八一に褒められ、書「壷中天地」を渡されました。現在、高橋酒造では「壷中天地」と「八一」の2銘柄を販売しており、記念館の協力企業としてご支援をいただいております。
八一と親交のあった堀口大学の父・堀口九萬一や、合作を発表した陶芸家・齋藤三郎など、長岡ゆかりの人物もたくさんいます。今回の展覧会が新潟市にとどまらず県全域に會津八一の足跡を知っていただく機会になると期待しております。
(学芸員・湯浅)
「壷中天地」(高橋酒造)
追記
高橋酒造代表取締役社長・高橋康臣様が3月22日に急逝されました。生前記念館は多大なるご支援をいただきました。今回長岡市で展覧会が開催される見通しとなった矢先の訃報、まことに残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。
2010年3月19日
千曲館と喜多武四郎の話
前回は八一の養女・きい子が代筆した1945(昭和20)年、空襲前後の吉池進宛書簡をご紹介しましたが、今回はその続きで1943(昭和18)年5月25、26日に送付した書簡についてご案内したいと思います。
この年、八一は吉池と日本美術院同人の彫刻家・喜多武四郎(1897~1965)を引き合わせています。その際、八一は吉池の実家の長野県戸倉上山田温泉「千曲館」に逗留することを喜多に推薦しました。5月25日のはがきでは年下の彫刻家を丁寧に紹介する八一の面倒見の良さが表れています。文面は以下の通りです。
この度御紹介申上げました喜田(多)武四郎先生、先日来御宅様へ御滞在御入湯との御由、御知らせを受けましたが、先生は彫刻では聞えた大家でいらせられますのに何かとひかへめな、遠慮勝ちでいらせられます。御多忙中恐れ入りますが、何卒よろしく御配慮いただけます様たのみ御願ひ申上げます。
ところで、新収蔵・吉池進旧蔵作品には喜多が厚紙にデッサンした八一肖像画が二点あります。そのうち一点は、1947(昭和22)年刊行の歌集『寒燈集』の挿絵になっています。この歌集にはきい子の死を詠んだ絶唱「山鳩」が収録されていて、不思議な繋がりを感じます。
喜多が宿泊した千曲館には八一やきい子も逗留していますが、旅館の受付に八一が揮毫した木額「千曲館」が飾られています。
(学芸員・湯浅)
喜多武四郎画「會津八一肖像」
(新潟市會津八一記念館蔵)
お知らせ
平城遷都1300年記念「奈良の古寺と仏像―會津八一のうたにのせて」展の新潟会場が新潟市美術館から長岡市の新潟県立近代美術館に変更される見通しとなりました。新潟市民、関係者の皆様にご心配をおかけしております。もう一つの新潟会場の會津八一記念館の展示「生涯と業績をたどる」は予定通り開催します。詳細は決定次第御報告致します。何卒よろしくお願い申し上げます。
2010年3月12日
大空襲ときい子の手紙の話
今年の新潟市は大雪が続きましたが、新潟県内の雪消えは平年よりも早いそうです。記念館の梅と桜の蕾も少しづつ膨らみ、春の到来を今かと待っています。
さて、去る3月10日は東京大空襲から65年を迎えました。一夜にして約10万人の民間人が犠牲になった出来事ですが、戦後生まれの私でも当時の話や資料に触れると、その事実に驚かされます。
今回新たに寄贈を受けた吉池進宛書簡の文中にも戦時中の緊迫感が表れている文章を散見することが出来ます。この書簡は八一の養女・きい子が代筆している新資料で、吉池進氏は長野県出身の八一の友人であり、後援者です。
大空襲の当日、3月10日の書簡では、八一は衣類の疎開先の一つとして吉池氏にお願いし、「まことに御迷惑のことで御座いませうが五十瓩(キログラム)包三ヶだけ取敢へずお預り下さいます様、御願ひ申し上げます」と記しています。結局この荷物は、4月13日の空襲で八一の自宅・目白文化村秋艸堂が全焼し、送付出来ないまま灰塵に帰しています。
その後、八一は新潟県中条町(現・胎内市)に疎開していますが、5月6日の書簡では「遂に一物も余さず焼失、杖代りの仐(かさ)一本にて着のみ着のまゝと相成りました」と吉池氏につづっています。自宅で所蔵していた拓本や書物などを失い、失意のまま疎開した八一ですが、戦後は新潟の文化振興に尽力し、新潟市名誉市民に選ばれています。
(学芸員・湯浅)
きい子肖像写真
(會津八一記念館蔵)
2010年3月 5日
メダルとトロフィーの話
バンクーバー・オリンピックが終わり、日本代表のメダルの数が注目されましたが、歪んでいるメダルの不思議なデザインも気になった方は多かったのではないでしょうか。このデザインは山や雪、波など自然をイメージし、全ての文様が違うそうです。
八一は随筆「銅のメダル」や教え子の小笠原忠の小説『鳩の橋』で、メダルの価値やデザインについて言及しています。そこで「メダルとしては・・・ほんとに美的な価値のあるものが至当であると信じています」と述べている八一が、今回のオリンピック・メダルを見たらどう言うか、興味が尽きません。
ところで、Blogでの報告が遅くなりましたが、2月6日、写真コンテストと會津八一賞懸賞論文の授賞式・講評会を開催いたしました。新潟市に81センチの大雪が積もった次の日にもかかわらず、ご来場、誠にありがとうございました。
その講評会で最高賞の秋艸道人賞を受賞した赤塚一さんは、最高賞に授与されるトロフィー「天つ乙女」がぜひ欲しかったので、撮影に力が入ったとおっしゃっていました。このトロフィーは東京芸大の宮田亮平学長制作になります。当館自慢のトロフィーが制作意欲のバネになったとはうれしい限りです。審査員長・淺井愼平先生は、写真の応募数も増え「充実に向かっている」と発言していましたが、来年度も開催予定ですので募集要項が出来次第、ご案内したいと思っております。
さて、3月に入り記念館の新収蔵品展、同時開催の「會津八一の歌を映す」第3回秋艸道人賞写真コンテスト入賞入選作品も残り1カ月を切りました。ご来館お待ちしております。
(学芸員・湯浅)
授賞式会場風景
會津八一記念館ブログ「秋艸日記」は、毎週金曜日更新の予定です。展覧会、イベント、最近の出来事など記念館の情報を発信します。