新潟市 會津八一記念館

會津八一記念館ブログ『秋艸日記』

2010年6月25日

『會津八一と上州・信州路』の旅 2日目

 仏像展の作品返却もほぼ終了し、今月19日(土)から企画展「會津八一記念館開館35周年記念 私が選んだ八一の書(著名人編)」を開催しております。この展覧会では、当記念館ゆかりの文筆家、芸術家、政治家、学者、高僧ら、八一に関心を寄せる19人の著名人から収蔵品70点を対象に好きな作品を挙げていただき、そのコメントも紹介する内容です。著名人の視点から八一作品を通じて、新たな発見が得られる、またとない機会です。後日ホームページやブログでも随時お知らせしていきますが、是非ご覧下さい。

 

 さて、先週に引き続き今回も『會津八一と上州・信州路』の旅を紹介します。2日目の最初に見学したのは松本市にある窪田空穂記念館。記念館の前には生家(写真)も公開しています。窪田空穂(1877~1967)は歌人・国文学者・早稲田大教授として大きな業績をあげ、文化功労者となりました。八一とは、早大文学部教授時代の同僚として親交を結びます。空穂は、門下の学生たちが創刊した「槻の木」の題字に、八一の揮毫を求めるなど、書家としての八一を尊重していました。また記念館内には、八一が空穂へ宛てた書簡も展示しています。内容は、文化協会から八一の随筆集『渾齋随筆』を推薦する通知をもらった。これは空穂が推薦の尽力を尽くしていたことを他から耳にしたので、八一は空穂への感謝の気持ちを表した文面です。両者の友情が偲ばれます。

 

 

 その後、碌山美術館を見学し、大王わさび農場で昼食。近くには万水川と蓼川の合流地点に水車小屋があり、かつて黒澤明監督脚本の映画『夢』のロケ地にもなった美しい水辺です。安曇野の雄大な自然を参加者みな堪能し、いざ「山中高歌」(八一が詠んだ信州関連の歌)の舞台・風景館へ。風景館は、大正10年夏、八一が病気療養の為に山田温泉風景館に滞在した地。旅館脇には滞在中に詠んだ「かぎりなき みそらのはてを ゆくくもの いかにかなしき こころなるらむ」の歌碑(写真左)が建っています。風景館の女将さんの話によれば、「碑の台座は、八一が滞在した部屋の庭先に据えてあったもので、八一がこれに腰をおろしたことがある」と。また、歌碑周辺にある笹は、東京・下落合秋艸堂の庭内にあったもので、歌碑建立の際、故植田重雄氏(八一研究者)が群生するように植えて下さったとか(画像右)。八一の息吹を感じさせる貴重なエピソードを聞かせて頂きました。

 

  

  
 最後は、小布施にある桜井甘精堂へ。ご主人の桜井佐七氏がお披露目下さったコレクションで、特に目を引いたのは八一書「與奥田勝書」の折帖。全長9m12㎝にも及ぶ超ロングレター。そうです、八一門下の彫刻家・奥田勝への美術家としての心得を表・裏びっしりと記した手紙なのです。墨痕淋漓、筆の躍動感が感じられ、いかに気合を込めて書いたかが窺われます。参加者一同、息を呑む様子で鑑賞していました。
 この旅行は、八一ゆかりの地を巡り、追体験を皆で分かち合えるのが醍醐味です。次回は秋を予定しております。興味関心のある方はぜひご参加して下さい。
(学芸員・喜嶋)
 

 

2010年6月18日

『會津八一と上州・信州路』の旅

いつも当館のブログを楽しみにご覧いただいている皆様、先週はブログ更新をせず、大変申し訳ございませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
『奈良の古寺と仏像-會津八一のうたにのせて‐』展覧会も6日で終了しました。長岡市にある新潟県立近代美術館の会場では、期間中の入館者数がなんと13万523人。目標人数10万人をはるかに超え、図録も完売するなど大盛況でした。図録を手にすることが出来なかった方は、7月初旬に増刷予定ですので、しばらくお待ち下さい。新潟会場の次は、東京・三井記念美術館へバトンタッチ。東京会場ならではの仏像もお出ましになるとか。7月7日からスタートしますので、ぜひお楽しみに!
 
当館と新潟日報旅行センターとの企画で、今月16日、17日『會津八一と上州・信濃路』の旅を実施しました。八一ゆかりの地をめぐるツアーで毎年あります。今回は短歌「榛名」(歌集『山光集』)、「山中高歌」(『鹿鳴集』)の舞台を旅する内容で21人の参加でした。
1日目、榛名湖西岸・ふじやで昼食。実はこの「ふじや」は、昭和15年6月3日、八一と吉野秀雄が投じた宿です。昼食会場には八一書の「山光水色」と吉野歌書の「榛名」の額二つが並べてありました。そして目の前には榛名湖と榛名富士が壮大にそびえています。八一もその風靡に魅了され、30分間口を利かず見惚れていたそうです。また後日、吉野へ宛てた絵葉書(下記写真)には、「この不思議なるハガキに題す ひめがみの おほきくちびる いろあせて まだらにあかき やまつつじかな」と戯詠を添えてあります。湖面に映る榛名富士と合わせみると、巨大な唇に見えます。今回は曇天のため絵葉書のように見られませんでしたが、榛名湖の風景に参加者の感動も一入でした。
 
 
 次に長野県へ移動。八一が昭和5年~8年まで、学術講演を行なった朝日村小学校(現朝日村公民館)の地元です。八一書碑「研精覃思」(下記写真)と原本、そして小学校校長室にある「青山元不動…」の大額を見ることが出来ました。「青山元不動…」の書は昭和9年、53歳の時の作品で力強さとたくましさがみなぎり、参加者の方々も感動して見入っていました。
 
 
 初日の最後は、養女・きい子の病気療養のために滞在した戸倉温泉・千曲館へ。八一も戦後3回、千曲館に宿泊し、旅館の看板(下記写真)も揮毫しています。創業者の長男・吉池進氏は早稲田大の出身で、八一の謦咳(けいがい)に接し、たちまち虜(とりこ)となります。そして終戦、戦後の混乱期にも関わらず、生活物資を疎開した中条町の八一の元へ届けたり、書籍購入の手伝いをしたり、書作品の表装の仲介の労をとったりと、惜しみなく支援した方でした。今回は、進氏のご子息・吉池泰夫氏が館内で父進氏と八一との接点、泰夫氏自身が体験した八一との思い出話を披露して下さいました。八一に対し吉野秀雄は正座平伏して頭を下げたそうだが、進氏は直立不動で八一と接していたこと。そして泰夫氏が高校2年生の時、文庫本の「啄木歌集」をしのばせていた頃、八一と対面。八一はすかさず啄木の話をしてくれたことなど。若い人と接することが好きだったとされる八一の一面を紹介してくれました。千曲館所蔵の八一書「悠然」や吉池家に伝わる「学規」をはじめ、八一書簡など吉池家との親交の深さをしのばせる作品などを堪能することができました。
二日目については、次回ご紹介します。
(学芸員・喜嶋)
 
 

2010年6月 4日

「奈良の古寺と仏像」新潟展は6月6日まで

6月2日で入場者数10万人を突破した「奈良の古寺と仏像-會津八一の歌にのせて-」新潟展も6日で会期終了となります。国宝・中宮寺の菩薩半跏像の微笑みを新潟で見ることが出来る期間もあとわずか。會津八一記念館「生涯と業績をたどる」とあわせてご覧下さい。
さて、記念館の展示作品で紹介したい作品はたくさんありますが、読み進めると面白いのが八一の書簡作品。今回は東大寺観音院の住職・上司海雲師との往復書簡から、八一の人柄や交流を紹介しています。
ちなみに八一が海雲師に送った現存する最も古い昭和15年10月17日付の書簡には、早稲田大学の学生と東大寺に参詣することが記されています。八一と同行した学生たちは大変勉強になったことでしょう。
私が初めて奈良を訪問したのは高校時代の修学旅行でしたが、当時は八一が初めて訪問したときと同じで、知識はほとんどありませんでした。その後、学部、大学院時代に度々訪問する機会に恵まれ、現在では歌集『自註鹿鳴集』を片手に八一と一緒に旅をする気分で奈良を訪問するのが常となっています。
今回の展覧会、来場者の中で奈良の仏像を見るのは修学旅行以来という方もいらっしゃったかと思います。これを機会に「會津八一の歌にのせて」、奈良を旅してみてはいかがでしょうか?また、この展覧会は東京・三井記念美術館、奈良県立美術館に巡回いたしますが、会場ごとに展示作品が大幅に変わります。新潟展だけではなく他会場にも足を運んでいただけたら幸いです。
 (学芸員・湯浅)
 

 

上司海雲宛會津八一書簡

(昭和15年10月17日・奈良大学蔵)


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